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レク嫌いだった私が、レクリエーション指導者になった話

レク嫌いだった私が、レクリエーション指導者になった話

レク嫌いだった私が、レクリエーション指導者になった話

私は昔、レクリエーションゲームが嫌いでした。

レクリエーションゲームとは、フルーツバスケットとかフラフープをみんなで手を繋いでくぐるとか、そういう集団ゲームですね。

学校や子ども会などで体験したことがある人も多いのではないでしょうか?

中には好きな遊びもありましたが、ゲームの途中から先生や指導者の指示で、隣の人と手を繋いだり、話さないといけなかったりする強制的な感じがイヤだったわけです。

でも、あることをきっかけに、私はレクリエーション指導者になりました。

厳密にはプロジェクトアドベンチャー(PA)という野外アスレチックのようなものも使う体験指導者なのですが、仲間づくりや人材育成のためにレクリエーションゲームをやることには変わりありません。

今回はそんなレク嫌いだった私が、なぜレクリエーション指導者になったのかという話です。

強制感のある「レクリエーション」が嫌いだった

レクリエーションゲームの道具

小学生の頃、子ども会とか何かの集まりでレクリエーションに参加する機会が時々ありました。

でも私は、「手をつないで」「隣の人と話して」「二人一組になって」といった強制的に何かをやらされる感じがすごくイヤでした。

中には楽しいゲームもありましたが、この強制感が出てくるといつもゲンナリしたものです。

「やりたくないことをやらされる活動 = レクリエーション」

いつしか私の中でレクリエーションに対する印象は、そうなっていきました。

市役所職員になったことで、またレクリエーションと深く関わることに

プロフィール

大学を卒業して市役所職員となり、教育委員会の青少年課という部署に配属されたことで、私はまたレクリエーションと関わることになりました。

同期の職員にも同じ係の先輩にも言いませんでしたが、「またレクリエーションと関わるのはイヤだな」と当時は思っていたわけです。

関わるとはいえ、私自身がレクリエーションゲームを直接指導するわけではありませんでしたが、青少年ボランティア団体の10代・20代のスタッフが、30名以上の子どもの前でゲームをしている姿を頻繁に目にするようになりました。

青少年のスタッフがレクリエーションゲームの指導や説明をして、子どもたちが楽しそうに遊んでいる。

団体の事務局をしていた私が時々様子を見ていると、スタッフから「参加しますか?」と言われることもありましたが、レクリエーションゲームに抵抗のある私は誘いを断ることが多かったような気がします。

一生懸命に子どもを楽しませる、青少年スタッフの姿が目につくようになる

市役所職員として1年目の頃、私はレクリエーションゲームが苦手でした。

職員としての仕事はきちんとやりながらも、レクリエーションゲームにはあまり関わらないように遠くから見守っている感じです。

でも、青少年スタッフがゲームを指導している様子を何度も見ているうちに、だんだんとレクリエーションに対する抵抗は薄れていきました。

  • 中学生や高校生が一生懸命にゲーム説明をしている姿
  • 参加者の子どもたちが楽しそうに笑っている様子
  • 青少年スタッフが学校終わりに集まって、レクリエーションの話し合いや企画を練っている姿

当時、青少年ボランティア団体は、スタッフの年齢も若いからか、多少危なっかしい(ケガを心配してしまうような)ゲーム進行をしていることもありました。

ただ、「ゲームで子どもたちを盛り上げよう」「参加者を楽しませよう」という熱意は十分に伝わってきたことを覚えています。

その頃自分は、人前で話すことにも慣れておらず、ましてレクリエーションゲームの説明など到底できなかったので、中学生や高校生のスタッフが、大勢の子どもの前で堂々と話している姿に「すごいなぁ」と思ったものです。

青少年スタッフと夏のキャンプなど様々な活動を共にすることで、レクリエーションゲームの価値が少しずつ感じられるようになりました。

具体的にいつからレクリエーションゲームに興味を持ち始めたのかは覚えていませんが、職員として2年目、3年目の頃には、自分からレクリエーションゲームの本を見て、「自分でもやってみようかな」と思うようになっていました。

国立青少年自然の家で、レクリエーション指導者の活動を始める

国立妙高青少年自然の家

市役所職員として4年の経験を積んで退職し、アウトドア専門学校に入学する頃には、レクリエーションゲームに対する抵抗もほとんど消えていました。

そこからは、プライベートでレクリエーションゲーム系の講習会に参加して、知識や技術を身に付け、国立妙高青少年自然の家で「アドベンチャー指導者」として活動するようになります。

アドベンチャー指導者とは、小学生や中学生にグループに対して、課題解決ゲームや仲間作りゲームなどの司会進行をする人です。

野外に設置された専用のアスレチックなども使い、子どもの自己成長や信頼関係の構築を手助けします。

アドベンチャー指導者は、単にゲームを進行するだけでなく、グループ全体や子どもたちに「どんなことを感じた?」など問いかけもするため、ファシリテーターとも呼ばれます。

そして、この個々の人間性や心を育てるための教育手法が、自分にはとても合っていました。

私はこれまでの教育活動でも、知識以上に、参加者の心を成長させることに重きを置いていました。

詳しい説明は省きますが、この教育手法(プロジェクトアドベンチャーというプログラム)は、人の心や人間性を成長させたいと思う私にぴったりの活動だったわけです。

※ プロジェクトアドベンチャー(PA)について興味のある方は、こちらのページをご覧ください。

自分がずっと嫌いだったレクリエーションゲームという活動の中に、私の大事にしてきた価値観や、一人一人の考えや行動を尊重した世界がありました。

強制感があって嫌いだったレクリエーションゲームの中に、自分のやりたいことを見つけたのです。

一時は本気で「アドベンチャー教育の指導者としてやっていこう」と思ったくらい、私の価値観に合った活動だと思っています。

自分がイヤな思いをしたからこそ、参加したくない子の気持ちもわかる

私が嫌いだったレクリエーションゲームに生きがいを見出したように、嫌いだったものを好きになることには、大きなアドバンテージがあります。

それは、活動に参加したくない子や苦手だと思っている子の気持ちがわかるということです。

「隣の人とと手を繋いで」

「隣同士で話してみて」

そう言われたときの苦痛や心のストレスが、手に取るようにわかります。

レクリエーションゲームが嫌いでなくても、先生の「二人一組になって」という言葉に恐怖を感じたことがある人は少なくないでしょう。

「もしも自分が一人になったら…」

小学生でも中学生でも、そう思うと不安で胸がいっぱいになります。

そういう気持ちがわかるからこそ自分が指導者として活動するときは、ゲームの流れやルールに人一倍気を使います。

ただし、子どもやチームの状況によっては、その子たちの成長を願うため、あえてチャレンジや勇気が必要な状況を作り出すこともあります。

先の「隣の子と話し合う」とか「手をつなぐ」などがその例です。

レクリエーションゲームに限らずですが、私は基本的にどんな活動でも無理強いはさせませんし、子どもたちに無駄な不安や恥ずかしい思いもさせたくないと思っています。

参加は本人の意思に任せながらも、成長するチャンスはつくって、与える。

嫌いとか苦手とか、レクリエーションゲームにそういうことを感じた私だからこそできる心のケアがあると思っています。

全員が抵抗なく、スッと入れるゲームの流れを目指している

私がレクリエーションゲームの司会進行をするときは、誰もがなるべく抵抗なく、スッと入れるゲームの流れを意識しています。

たとえば初対面の場合、「隣の人の手を握って」「目を見つめて」などと言われると抵抗がありませんか?

多少、知った仲だとしても、急に相手の体に触ることを求められれば、戸惑うことも多いはずです。

大人なら「大人の対応」でできなこともないですが、子どもは特に顕著です。

だからこそ、ゲームの内容やルール、やるゲームの順番などには注意しています。

参加者の雰囲気を見て「少し抵抗があるかな」と思うときもありますが、彼らの成長にプラスになると思えば、こちらも思い切ってチャレンジが必要なゲームをやらせてみることもあります。

最初こそ、ぎこちない空気が流れますが、それを乗り超えたときには仲間に一体感が生まれることもあるからです。

言うなれば、初対面でもみんなでドッチボールなどスポーツをして、汗を流し、笑ったり、悔しい思いをしたりすることで仲間意識が強くなるのと似た感じですね。

子どもの抵抗感や心理的ハードルを下げることで、みんなが楽しめて学びやすい空間ができると私は思っています。

偶然の出会いが、嫌いを「好き」に変えた

私は市役所職員になって青少年課という部署に配属されなかったら、きっと今でもレクリエーションゲームが嫌いだったと思います。

子どもの頃の強制的に参加させられる活動というイメージのまま、今を迎えていたでしょう。

まして自分でレクリエーションゲームをやるとか、指導者になるなど絶対に思わなかったはずです。

偶然だったとはいえ、市役所での仕事や青少年スタッフたちが、その価値観を変えてくれたことには今でも感謝しています。

好きなこと、やりたいと思える活動が見つかったわけですからね。

この偶然の出会いが、自分の人生に強い影響を与えました。