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子どもの頃、僕にはガラクタが宝物に見えていた

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小学生の頃、私にはガラクタを集めていました。

他の人から見ると「何でこんなもの取ってあるの?」というようなものを紙袋一杯に入れて、部屋の棚にしまっていたのです。

でも、そんなガラクタ集めをしていた頃の気持ちが、今の仕事にも生きているような気がしています。

最近までガラクタを集めていたことはすっかり忘れていたのですが、自分自身の過去を振り返っていて、ふと思い出しました。

そこで今回は、「私がなぜ、子どもの頃にガラクタ集めていたのか」について書きました。

誰のためになるかは全く分かりませんが、気楽に読んでみてくださいね!

小学生の頃、よくガラクタを集めていた

ガラクタ集め

私がガラクタを集めていたのは、小学校1、2年生の頃だったと思います。

たとえば、こんなものです。

  • カップ麺の空き容器
  • 使用済みの電池
  • トイレットペーパーの芯
  • 消しゴムの持ち手となる紙部分

おそらく誰から見てもゴミだと思います。

でも、私には一つ一つが宝物のように感じていました。

それは、これらのガラクタが持つ可能性、紡ぎ出される世界を想像していたからです。

ピタゴラスイッチじゃないけれど、ガラクタから生まれる何らかの可能性をイメージして楽しんでいました。

当然かもしれませんが、母親からは何回「捨てていい?」と聞かれたか分かりません。

ですが、かたくなに「ダメ!」と言い張っていました。

カップ麺の空き容器、ガムテープの芯、小さくなった消しゴムを見ては、そこから「何ができるだろう」「何かできるかもしれない」と、想像するのが楽しかったわけです。

今の自分や仕事にも通じている気がする

ライティング

ガラクタを集めていた子どもの頃の感覚は、今の仕事にも影響している気がします。

たとえば、子どもの野外活動や教育の企画。

「このダンボールを使って、何かおもしろいことはできないだろうか?」「余った木材を何かに使えないか」「ここにあるお手玉とロープを使って遊びを作れないか」など、そんな思考にです。

一見、使えない素材や何もない場所(地域)に見えても、そこには必ず何かある。

いつも、私にはそう思えてなりません。

「文章を書く」という仕事が好きなのも、たぶんそんな感覚からきています。

創ること自体が楽しいというのもありますが、別々の知識や情報を組み合わせて、オリジナルの文章に仕上げていく。

その感じが好きなのだと思います。

子どもの野外活動で使えそうなもの、使った道具はなかなか捨てられない

子どもの活動関連の道具

私は割とモノを捨てるときは、大胆に捨てます。

以前、2部屋あったアパートからワンルームのアパートに引っ越したときは、部屋にあったモノを1/3ほど処分しました。

たとえば、以下のようなモノです。

  • 全然着ないのに、良いブランドだからと保管していた服
  • ゲーム機やソフト
  • PCに取り込んだ後、ほとんど聞いていないCD(大量)
  • 使っていない新品の鍋

大半はメルカリで売って、売れそうにないものはゴミの日に処分しました。

そんな感じで時々、無性に「捨てる」スイッチが入って、あとで少し困るくらい捨ててしまうのですが、 私には「これは捨てられない、捨てにくい」というものがあります。

それは、子どもの野外活動で使えそうなものや、実際に使った道具です。

わりばし、ストロー、紙コップ、木の枝、毛糸など野外で使ったものや工作用品は、 それらが部屋にあるだけで何だかワクワクしてきます。

人によってはなかなか捨てられないものが、服だったり、本だったりすると思いますが、自分にとっては子どもの野外活動関連のものが一番捨てにくいものでした。

一つだけ、何でも入れていいワクワクBOXを作った

自分BOX

子どもの野外活動や工作に使う道具は、なかなか捨てられない。

だから、引っ越しの時に一つだけBOXを作りました。

子どもの野外活動で使えそうなものでも工作に使うものでも、自分がワクワクするものなら何を入れてもいいBOXです。

まるで、子どもです。

でも、これが意外といい解決策だったと思っていて、心に安らぎというか余裕を与えてくれた気がします。

ワクワクBOXには何が入っているのかというと、絵の具や粘土、軍手、ちょっとした遊び道具など様々なものが入っています。

時々見ますが、ほとんど日常で使わないものばかりです。

でも、それでいいと思っています。

このBOXの中に入るものなら何を入れてもいいし、自分の自由に使っていいと決めたからです。

当然、BOXは収納スペースが限られているので、新しいものを入れるなら古いものを処分しないといけません。

だから自然と、BOXの容量にモノが収まります。

ガラクタ集めの感覚は、大人になっても続いています。

本当にワクワクするもの、今は使わなくても、見た時にワクワクするものだけをBOXに詰めていることが楽しいのです。

他人から見たらガラクタでも、自分にとっては宝物

きらきら

私が小学生の頃に集めていた、ラップの芯や使用済みの電池などは、他人から見たらきっとゴミでしょう。

でも、自分はそれを使って「何かできるのではないか」と想像を膨らませていました。

無限の可能性を秘めたガラクタは、自分には宝物のように輝いて見えていたのです。

おそらく誰にでもそういうものが、一つや二つあるのではないでしょうか?

フィギュアやカード、アーティストグッズ、雑貨などは、興味のない人から見たら必要のないものであり、ガラクタかもしれません。

他人からすれば「えっ、これ大事?」と思うものだけど、自分にとっては宝物と感じるものがきっとあると思います。

他人がどうこうではなく、自分の心がワクワクするかどうかが大切。

そういう気持ちにさせてくれるモノが、きっと心も人生も豊かにしてくれるはずです。