【もっと詳しいプロフィール】好きなことが仕事になるのか知りたかった。
自然体験教育者 / 子ども向けイベントプランナー / Webライター
【簡単な経歴】
- 大学卒業後、4年間市役所に勤務(青少年教育に関する事業を担当)。
- 社会人を辞めて、アウトドア専門学校に入学。野外教育を中心に自然体験プログラムの企画運営、安全管理技術、自然知識を習得。
- 一時、保険営業に従事し、「売るとは何か」を試行錯誤して学ぶ。
- ブログ・ライティングを始める。
- 現在、フリーランス。
初めに目指したのは、自然や野外教育に関わる仕事
22歳の頃に「青少年教育」の仕事に出会う
大学卒業後、私は埼玉にある市役所の職員として青少年教育の仕事をしていました。
小学生から中学生、高校生、大学生などの子から20代後半の人たちをまでと関わる仕事は、当初イメージしていた市役所の仕事とは全然違うものでしたね。
キャンプの企画や運営、地方に行っての宿泊研修など若い子たちと触れ合う機会が多く、市役所の別館ということも相まって、学校のような若いエネルギーのある職場だったからです。
でも当初は、中高生とかに妙な恐怖心があったので、どうやって接していいかよくわかりませんでした。
私としては普通に笑顔で話していたつもりだったのですが、数ヶ月してからそこに遊びにきていた女子高生に「あの頃は、顔がひきつっていてひどかったよー」と言われたくらいです。
……地味にショックでした。
ただ、その職場で青少年を対象にした仕事で、人の成長を手助けするおもしろさや、自分が考えた企画で喜んでもらえたときの楽しさに気づけました。
「本当に好きな仕事で生きられないのか」を知りたかった
社会人2年目くらいから、今の働き方に疑問を感じるようになりました。
「本当にこのままでいいのかな」と、日々モヤモヤした思いを抱えて生活していたわけです。
他の職場で、体や心を壊して休んでいる人たちを見て、お金のためだけに働くことにも強い憤りを感じるようになりました。
たとえお金があっても、心が幸せでなければ意味がないからです。
よく「好きなことでは食べていけない」と言われますが、「本当にそうなの?」と思ったこともあって、自らの人生をかけて実証してみたくなりました。
市役所を4年で退職し、学生としてアウトドア専門学校に入学
やりがいを感じていた青少年教育の仕事を「もっと続けたい」と思い、4年間で市役所を退職しました。
市役所には、だいたい4〜5年で異動があります。
私もちょうど対象になる職場年数だったので、「もしかしたら、自分もそろそろ別の職場に異動になるかも」と感じていました。
だからこそこれを機に退職して、新潟にある国際自然環境アウトドア専門学校に入学することにしたのです。
そこで登山やキャンプ、子ども向けの野外活動など、フィールドワークを中心に、アウトドアの知識と技術を幅広く学びます。
当然、社会人を辞めて収入ゼロになるわけですから、不安はありました。
ですが、26歳のこの頃に自分を振り返って、本当にやっていきたい仕事について考えた結果、出た答えが「自然と関わる仕事がしたい」だったのです。
不安を感じながらも社会人を辞めて、再び学生になります。
卒業後は「必ず独立する」と決めていた
アウトドア専門学校に入学する前から、「卒業したら必ず独立する」と心に決めていました。
私が独立にこだわっていたのは、今の時代、会社に依存していても何がどうなるかわからないからです。
それに自分にはやりたいことも好きなこともなかったので、「この3年間の学生生活のうちに、スペシャリストになれるくらい知識と技術を磨こう」とも思っていましたね。
市役所職員にリストラはないけれど、30代や40代になって何かの機会に職を失ったら、自分はどうするのだろうという漠然とした不安もそこにはありました。
フリーランスになるも、仕事が取れずに挫折
29歳でアウトドア専門学校を卒業して、就職はせずにフリーランスになりました。
しかし、自然体験教育の指導経験や企画・運営ができても、仕事の取り方がわかっていなかったので、3ヶ月くらいで早々と挫折します。
今考えれば当然なのですが、毎日家の中で一人でマーケティングなどの勉強ばかりしていても、仕事なんて取れないですよね。
当時は、そんなことすら分かっていませんでした。
でも、そんなときに縁あって、アパート契約した不動産兼保険代理店の経営者から、「保険営業の仕事をしてみる?」と言われました。
あとで聞いたところ、私の人当たりの良さとかを見込んで誘ってくれたようだったのですが、「営業 = お客にすごいプッシュする」イメージがあったので、当時は「自分が営業に向いている」とは、全く思えませんでしたね。
営業は未経験でしたが、以前から気になっていた職種だったことや自然体験指導者として仕事が取れない現状を考えて、転職を決めました。
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保険営業時代に、ブログを始める
保険営業への転職は一時的なもので、いずれはまたフリーランスとして独立すると決めていました。
ブログを始めたのもこの頃です。
働き方や仕事の選び方など、思うところがいろいろとありましたし、自分の活動を知ってもらうために始めました。
最初は頑張って記事を書いても、1日最高5PVなど全く結果が出ませんでした。
そうなるとやる気も落ちてきて、書く気もだんだんなくなっていきます。
でも、半年、一年と長く続けていると少しずつPV数も上がってきて、1日100PVくらいにはなりました。
他人から見たら少ない数でも、「自分の経験や知識が、まだ会ったこともない誰かの役に立っているかも」と思うと楽しく、嬉しくなります。
Webライターの仕事を始めたきっかけ
31歳で保険代理店を退職して、またフリーランスになってからWebライターの仕事を始めました。
私は特に「Webライターになる」と決意して仕事を始めたわけではありませんが、教育や営業の仕事で培った「わかりやすく、物事を伝える」という強みが活かせるかもとは思っていました。
今思うと、子どもでも理解できる「話の組み立て方」や「言葉選び」などのノウハウも、そのまま活かされているなと感じます。
もともと「時間や場所にとらわれず、自由に仕事がしたい」という想いもあったので、ちょうど良かったのでしょう。
そんな想いに導かれて辿りついたのが、文章を書く仕事でした。
とはいえ、心のどこかではいつも、子どもの自然体験活動のことを考えていたので、自然体験指導者としてやっていけるのであれば、そっちに進みたいという思いがあったことも確かです。
結局、数年後、子どもの野外活動や自然体験活動を中心とした仕事を考えることになりました。
『Reach Out Leaders』のミッション
- 「体験」による影響を甘く見ない
- 子どもの「人間性」「心」を育てる
- 楽しさと学びのハイブリッド
- 自分らしく振る舞う
- 居心地の良い場の創造
- 短所より長所に目を向ける
- 価値あるサービスを提供する
Reach Out Leaders (リーチアウトリーダーズ)には、「価値をあるもの創り、人を手助けする」という想いを込めました。
教育というと、先生や指導者など教える側に目が行きがちですが、教えられる側の準備や心の状態も大切です。
両者がかみ合ってこそ、最大限のパフォーマンスが発揮できるのではないかと思っています。
もしかしたら、子どもの頃の体験は、3年後、5年後と大人になるにつれて、忘れ去られてしまうのかもしれません。
しかし、たとえ記憶からは消去されたしても、あのとき感じた「楽しかった」「悔しかった」「仲間と協力した」などの感覚は、その後の思考や行動、自己肯定感などに影響を与え、今現在の成長にまでつながっているはずです。
「体験」と「言葉」。
この2つは、私たちのマインドセットや行動に大きく影響しているものであるため、日々、どんな体験をして、どんな言葉を受けるかによって、人生を変わってくると考えています。
松崎 清央のプライベート情報
■ 1986年生まれ。実家はお寺。小さい頃から住職になるために育てられる(強制ではない)
■ 北海道出身。新潟在住。
■ 15歳:高校進学をきっかけに親元を離れ、下宿生活を始める
■ 22歳:市役所に入所。青少年教育と出会う
■ 26歳:市役所を退職。学生に戻り、本格的に野外教育・アウトドアのスキルを習得
■ 29歳:アパート賃貸もやっている保険代理店の支店長から営業のお誘いを受ける。「もう二度と会社員はやらない」と思っていたが、支店長の人柄に惹かれて転職。
■ 30歳:ブログを始める。Webライターの仕事を始める
■ 性格:真面目。人を笑わせるのが好き。臆病。
■ 好きなもの:自然豊かな場所、音楽(ロックやメロコア)、漫画(HUNTER×HUNTERなど)、読書(ビジネス系が多い)、eスポーツ観戦(スト5)、一生懸命な熱い話
■ 好きなアーティスト:dustbox、スピッツ、BUMP OF CHICKEN、ヨルシカなど。
■ 苦手なもの:へび
■ 好きな言葉:「自由」「可能性」
長々お読みいただき、ありがとうございました (_ _)